私はブランド力無し、お金無し・人無しと無い無いづくしの中、行き着いたのは直貿でした。今考えると、ギリギリの中で良く海外に活路を求めたと思います。
さて、展示会に出ると現地で日本食品を扱っている大きな会社との出会いもありましたが魅力的には見えませんでした。理由は、既に大手を含めたたくさんの蔵元との取引があったからです。あの日本で会った部長の言葉が忘れられなかったからです。そこで現地の小さな輸入商社を見つけることに望みを託しながら出展を続けました。結局、2005年と2006年の2年間の内、約3分の1を海外で過ごしましたが輸入代理店も見つからず売上げもゼロでした。昔、友人の伝手で輸出を一度だけした商社の方が突然展示会に現れて、おたくの商品は当然ウチを通して輸出しますよねと言われた時はびっくりすると共に丁重にお断りさせて頂きました。新しい戦力Wこと若奈さんを加えても厳しい状況は続き、二人で展示会に出るために現地集合・現地解散を繰り返しながら世界を回りました。しかし、ロンドンに若奈さんが住んでいたことで道は開けていきます。
日本酒をメインにするロンドンの輸入代理店と交渉してようやく初めての輸出が行えることになりました。ケース数にして10ケースほどだったと記憶しています。この頃、まだロンドンにJALUXが直営店を構えている時代です。ラッキーなことに、私が所属していた日本酒造青年協議会と日本航空さんで一緒に酒サムライやIWCの事業を始めたりしていたのでJALUXさんの社員さんとも懇意にして頂いていました。どうやって輸送するか考えもしていなかったのでJALUXの社員さんに相談したところ安い値段で輸送を請け負って頂けることになりました。これも出会いを大切にしたこと結果だと思います。私は、2~3年の間は航空便でしか輸出したことがありませんでした。ただ、この良いご縁もJALさんの経営危機によって終焉を迎えました。責任の一端はと思うところもあるので、今でも出来る限りJALに乗せて頂いています。
また、船は、大量の商品しか送れないと思っていました。混載というシステムを知りませんでした。ようやくパレット単位で輸出が可能になったとき、初めて船会社さんに見積もりを依頼しました。今まで、航空便の運賃しか知らない私です。今でもはっきり覚えています。船会社からの見積もりを見て、思わず船会社の方に電話をして「見積もりの金額ですが桁が間違っていません?」と真剣に聞きました。
現在、世界中でコンテナ不足となっています。アメリカやヨーロッパへの船代も通常の3倍になったりしています。しかも予約が取れない。航空便も同じく値段が高騰し予約を出来ない状況です。現在、弊社は約10社のフォワダー様とお取引をさせて頂いています。お取引頂いている皆様のお陰で何とかこのような厳しい状況でも予約を取って頂いています。早く通常の世の中に戻ることを願わずにはおれません。