出会いは大切に

IFEロンドン2005が終わった後もヨーロッパとアジアの展示会に出展し続けました。どこへ行ってもブースは大盛況。ただし、輸入代理店になってくれる会社は全く見つかりません。当然、売上はゼロです。多分、社員はみんな海外に遊びに行っていると思っていたと思います。

ロンドンの展示会は3月でしたが、4月以降1人の女性(Wさん)から営業メールが届くようになります。英国では、IFEは2年に1回の開催で、IFEの翌年にイギリス第2の街マンチェスターで開催されていた食品展示会の営業が彼女でした。彼女は、IFEに出展していた日本企業に出展を促す営業を行っていました。何度もメールでやり取りし、また偶然にもサンフランシスコで会うことにもなりました。出展することを決め、出展の最終日、日本に帰国しようと彼女に最後の挨拶をしに事務局まで行きました。そうすると彼女が「実は、私も上司が退職するので私も退職してサンフランシスコに行きます。」と言いました。半分冗談で「アメリカに輸出するときは声を掛けるからその時は手伝ってね。」と言って別れました。

その頃、もう一つ熱心に取り組んでいたことがありました。「モンドセレクション」「ITQI 国際食品コンクール」への出品でした。金賞受賞の言葉がどれだけ欲しかったか。そして、幸いにも2006年「ITQI 国際食品コンクール」で「清酒明石鯛 純米大吟醸酒」が金賞を受賞することが出来ました。これには、余談があり表彰式に日本の通信社の方がいらっしゃっていました。この時は、日本から金賞受賞が3社だけだっとこともあり日本でも大きく取り上げられ多くの注文を頂くことが出来ました。

この頃、私のメールの半分は英語になって通常業務にも影響が出ていました。この受賞をきっかけに海外で一緒に営業をしてくれる人はいないかとより一層思い、サンフランシスコに渡った彼女Wさんを思い出し、思い切って彼女にメールをしました。「今、何をしてます?」「プー太郎です。」「じゃ、うちで働いてくれない?」「良いですよ。」そう彼女Wさんの入社はこうやって決まりました。彼女は、弊社が輸出で成功する礎を築いた最も貢献度が高い社員でした。彼女は妊娠を機に弊社を辞め今はヨガのインストラクターをしています。大きな娘のような存在です。そして、IFEロンドン2007にも出展をしました。この時。通訳とブース手伝いにジェトロから派遣されて来た女性のMさん。5年後に弊社の社員になってくれて弊社が大きく羽ばたく力になってくれたことは間違いありません。後から聞いた話ですが、ジェトロがブースの通訳を募集しているのを見て時間があったので、たまたま応募をしてたまたま弊社担当になったそうです。縁はどこに転がっているか分かりません。縁は大切にしましょう。

2006年マレーシアの展示会

英語が話すことが出来てもコミュニケーションを取ることが苦手な人もいます。一緒に展示会で仕事をして見て社員に出来るか判断するのも良いかもしれません。

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